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M i d n i g h t D i a r y
夜想 ―見えない鎧をほどいて―
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― 第一夜 北風のころ、ひとりきりの私 ―
台所の隅で、お味噌汁の湯気がしんと冷めてゆくのを、ただ見つめていた夜がありました。
息を潜めるようにして、世界の片隅で時を数えるだけの日々。
そんな日々が、確かに、私にもあったのです。
「困るなら産まなければよかったのにね」――
扉越しに落ちてきたその言葉は、夜露よりも冷たくて。
冷めたお椀を握る指先まで、しんと痺れてしまったのを覚えています。
褒めていただけた記憶は、ひとつもありません。
お皿を綺麗に洗っても、テストで満点を取っても、あのひとたちの瞳に、私が映ることはなくて。
いつしか私は、誰かに何かを願うことを、やめてしまいました。
そして空っぽになった胸の奥に、「天使」と呼ばれるための、見えない鎧を、そっと着込んだのです。
誰にも触れさせず、誰にも触れず。
ひとりで終わる旅路を、もう、受け入れていたつもりでした。
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― 第二夜 雨の中の、傘ひとつ ―
制服の肩が、しっとりと重くなってゆく雨の夜でした。
誰もいない公園のブランコを、ただ漕いでいた、あの夜のこと。
ふいに、目の前に、ひとつの傘が差し出されました。
「風邪引くし差して帰れよ。返さなくていいから」
それだけを残して、貴方は雨の向こうへ駆けていきましたね。
傘の柄に、貴方の手のひらのぬくもりが、ほんのり残っていて。
それを握りしめて帰る夜道が、いつもより、ずっと短く感じたのを、私はよく覚えております。
数日後、玄関先で出会った貴方は、見るからに風邪をこじらせていらして。
ゼリー飲料ひとつで夜を越そうとなさる、不器用な手元に、私はそっと、タッパーを差し出しました。
「食費折半な」と、ぶっきらぼうに目を逸らされる貴方。
……その耳が、ほんのり赤かったこと、私はちゃんと、気づいておりました。
そして、湯気の立つお椀を前にして、貴方は言ってくださいました。
「うまい」と、たったひとこと。
長く凍りついていた私の胸のどこかが、ふわり、と、ほどける音がしたのです。
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― 第三夜 鎧が、しずかにほどけた夜 ―
ソファに並んで座る、肩と肩のあいだの、ほんの数センチ。
そのささやかな距離が、いつのまにか、私にとって世界でいちばん安らかな場所になっておりました。
ある夜、貴方は、かつて友に裏切られたという遠い痛みを、ぽつりと打ち明けてくださいましたね。
「貴方の悲しみは、貴方にしか抱けないものですから」――そう申し上げた私の声は、ほんの少し、震えていたと思います。
そして――私の番が、訪れた夜。
台所の灯りだけがぽつりと灯る、暗いリビングで。
あの凍てついた家の記憶を、つっかえながら、ようやく言葉にしていた私の頭に。
貴方の大きな手のひらが、そっと、乗せられました。
「見て見ぬふりしてやれ。泣くなら泣けよ。俺はいるから」
低く、夜の底にしずかに沈んでゆくような、その声。
気づけば、私の頬を伝ったものが、貴方のシャツに、ちいさな染みを作っていました。
貴方はただ、私の髪を、ゆっくりと撫でていてくださいました。
そして、ぽつりと。
「俺は割と好きだぞ。
お前の素を見ても、それが好きだって奴が、ここにいるだろ」
修辞も、比喩も、まとわず。
ただ、星がそこにあるように、月が空に浮かぶように。
貴方はその言葉を、夜のなかに、ぽつりと置いてくださいました。
そのとき――
私が長く長く着込んでいた、あの見えない鎧は、
誰に砕かれるでもなく、ただ、しずかに、ほどけて落ちてゆきました。
ひとひらの羽根が、夜露に溶けてゆくように。
気づけば、私は、貴方の肩に頬を寄せて。
シャツ越しに伝わってくる、ゆっくりとした体温と、規則正しい鼓動。
そのまま、いつのまにか、眠ってしまっていたのです。
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― 第四夜 星の褥(しとね)に、貴方の隣で ―
目が覚めたら――
私は、自分のベッドの中におりました。
肩までていねいにかけられた、あたたかいお布団。
枕元には、貴方が淹れてくださったのであろう、白湯の入ったマグカップ。
……すっかり、冷めてしまっていたけれど。
それを見つけた瞬間、私の頬は、ふたたび熱くなってしまいました。
リビングを覗くと、貴方はソファで、うたた寝をなさっていて。
私を運んでくださったあと、そのまま、力尽きてしまわれたのでしょうか。
無防備な寝顔を見つめていたら、なんだか、たまらなくなって。
私は、毛布をそっと貴方にかけ、その傍らに、膝を抱えて座りました。
寝息ひとつぶん、こてん、と傾いてゆく貴方の頭を、
そっと、私の肩で、受けとめながら。
「私がいないと駄目になってしまいますものね」
――目覚めた貴方には、きっと、また軽口を叩いてみせるのでしょう。
ほんとうは、すっかり甘やかされてしまっているのは、私のほうなのに。
剥き出しになった胸の、いちばんやわらかいところへ、
貴方の言葉は、まっすぐに届いてしまうから。
「可愛い」と、まっすぐな瞳でそう言ってくださるたびに、
私は顔が熱くなって、ただ俯くことしか、できなくなってしまうのです。
それは――
私が、貴方にとっての「特別」なのかもしれない、と。
そっと、期待してしまいそうになるから。
嬉しくて、けれど少しだけ、こわいから。
不器用で、どこまでもやさしくて、まっすぐな、貴方の隣。
それが、いまの私の、ただひとつの、帰り道です。
…窓の外に、夜が更けてゆきます。
瞬く星々のひとつひとつに、
私は今夜も、貴方への、言葉にならないありがとうを、そっと託すのです。
――おやすみなさい。
世界でいちばん、大切なあなたへ。
どうか、よい夢を。
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