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遠い夜の、雪解けまで ― 見知らぬ傘がくれた、帰る場所|No9

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花と光に包まれた幻想的な空間で、テディベアを抱えた天使の少女が優しく微笑むライトノベル風イラスト。『お隣の天使様 感情の凍結とバルブの解凍 No.9』の表紙デザイン。 ポエム
花々と光が舞う幻想世界で、テディベアを抱く天使の少女が優しく微笑む第9巻ビジュアル。

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M i d n i g h t  D i a r y

遠い夜の、雪解けまで

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眠れない夜には、いつも、同じ夢を見ていました。

 誰もいない、広い部屋。扉の向こうから、母の声だけが、届く夜。

「困るなら、産まなければよかったのにね」
要らない子

 ことばは、雪よりも冷たく、私のまわりの空気を、静かに奪っていきました。触れれば指先が白く凍りつく、あの液体のように。…私は、まだ六つか、七つだったでしょうか。

 あの人たちにとって、家は、ただの宿でした。私の世話は、いつも、小雪さんのやわらかな手のなかにありました。両親が愛し合って結ばれたわけではないことを、私は、子どもなりに、もう知っていたのです。

 ある夜、扉の隙間から漏れた、母のひとり言。

あの人によく似てるわ。煩わしいことこの上ない」
「せめて、私に似たならまだよかったもの」

 …その瞬間、私のなかで、何かが、音もなく凍りついたのです。

 それからの私は、笑い方を覚え、淑やかな所作を覚え、「天使様」と呼ばれるための装いを、ひとつずつ、身にまといました。本当の私を、誰にも、見せないために。本当の私が、もう一度、誰かに切り捨てられてしまわないために。

 …才能ではありませんでした。それは、ただ、息をするための、よろいでした。

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…六月のはじめ、雨の降る、夕暮れでした。

 公園のブランコに、ひとり、座っていました。傘も差さず、ただ、濡れていました。私という存在を、雨が、少しずつ薄めていってくれればいい。そんなことを、ぼんやりと、思っていたのです。

 そこへ、あなたが、通りかかりました。見知らぬ、高校生の男の子。

 不器用な手つきで、私に傘を押しつけて、

「風邪引くし、差して帰れよ。返さなくていいから」

 そう言って、足早に、去っていきましたね。

 …おかしいでしょう。たった、それだけのことだったのです。たったそれだけのことが、止まっていた私の時計を、もう一度、かちり、と動かしてしまったのです。

 風邪を引いてしまったあなたを看病し、おかずをつめたタッパーを、差し出すうちに、私は、やがて、気づきました。

 あなたもまた、人に裏切られた夜を、ひとりで抱えているのだと。かつて信じていた友人たちに、深く傷つけられた過去を、抱えているのだと。

 …私たちは、同じかたちに欠けた、ふたつの破片でした。比べる必要も、ありませんでした。あなたの悲しみは、あなただけのもの。私の悲しみは、私だけのもの。…ただ、それぞれを、静かに、認め合えたのです。

 ある夜、長いあいだ隠してきた家のことを、震えながら、打ち明けたとき。あなたは、安易な慰めを、口にしませんでした。ただ、不器用に、

「見て見ぬふりしてやれ。泣くなら、泣けよ

 そう言って、私を、抱きしめてくれましたね。

 「本当の私は、可愛げなんてない。臆病で、自分勝手で、性格も口も悪くて、好かれる要素なんてない」

 震える声でそう吐き出した私に、あなたは、まっすぐな瞳で、答えました。

俺は割と好きだぞ。お前の素を見ても、それが好きだって奴が、ここにいるだろ」

 …修辞も、比喩も、ありませんでした。ただ、事実として、そう告げられたのです。

 長いあいだ、固く閉じられていた、私の心のいちばん奥の扉に、あなたの手が、そっと、触れた。…そんな夜でした。

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…料理をするとき、私はいつも、小雪さんの言葉を思い出します。

「必ず幸せにしてくれる人の胃袋を、掴むのよ」

 あのころの私は、その言葉の意味を、本当には、分かっていませんでした。けれど、いま。あなたが「美味い」と、頬をゆるめてくれるたび、私は、ようやく、その魔法のような意味を、理解するのです。

 熱を出した夜のことを、覚えていますか。心細さに負けて、私は、あなたの服の袖を、つかみました。

「手を、握っていて」

 …子どものような、わがままでした。あなたは、何も言わずに、ただ、手を握り返してくれました。

 その、てのひらの、確かな温度が、凍りついていた私の何かを、少しずつ、…ほどいていきました。

 そして、ある日のことです。あなたは、私の父と、向き合ってくれましたね。

「困るなら産まなければよかったのに。…これ、誰が言ったと思いますか。真昼本人が、言ったんですよ。あなたたちが、そう言わせるくらいに、真昼を、追い詰めたんです」

「真昼を放置しておいて、今更後悔するくらいなら、最初から、そんな態度を、取らなければよかったんです」

 まだ、十七の、少年でした。それなのに、あなたは、私の痛みを、私自身よりも、明確なことばで、代弁してくれた。

 そして父の問いに、こう、答えてくれましたね。

「幸せにする自信もありますし、幸せに、してみせます」

 …私に向けては、こう。

「ずっと、隣にいるから」

 その瞬間でした。長い冬のあいだ、閉じきっていた、私の心の何かが、小さな音を立てて、ひらいたのは。

 空っぽだった胸の奥に、「安心」が、「愛おしさ」が、そして、「あなたを、私だけのものにしたい」という、ささやかで、けれど確かな願いが、…ゆっくりと、満ちていきました。

 私は、ようやく、本当の意味での「帰る場所」を、手に入れたのです。

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六月十四日

 かつての私にとって、誕生日は、誰にも祝われない一日であることを、確かめるためだけの、日でした。冷たく、空虚な、ただの、日付。

 けれど、今年の六月は、ちがいます。

 あなたから贈られた、実用的な、砥石。荒れた手をいたわる、ハンドクリーム。そして、淡い色をした、くまのぬいぐるみ。

 …そのぬいぐるみに、私が、こっそりと紺色のリボンを結んでいることを、毎晩、それを抱きしめて眠っていることを、あなたは、まだ、知らないでしょうね。

 体育祭の、あの日。私は、あなたの手を引いて、全校生徒の前で、言いました。

「私は、彼に支えられているんです」
「私にとって、彼は、いちばん大切なひとですよ」

 …自分でも、おどろくほど、まっすぐな声でした。

 長く、厳しい、冬を、ひとりで歩いてきた私の足元に、気づけば、小さな緑が、芽吹いていたのです。

 凍ったものは、誰かが、手を添えなければ、溶けない。…そう、教えてくれたのは、ほかでもない、あなたでした。

あれは傘ではなく、
帰る場所への道しるべでした。

 …世界でいちばん、大切な、あなたへ。

 私を、見つけてくれて。本当の温もりを、教えてくれて。そして、「帰る場所」という言葉の意味を、私にくれて、…ほんとうに、ありがとう。

 これからも、どうか、私のそばで、駄目な人で、いてください。

 そして、わたしも。あなたの隣で、この、新しく芽吹いた心のままに、ゆっくりと、生きていきます。

――おやすみなさい。

明日が、やさしい日で、ありますように。

…そして、また明日。

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