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夜更けの日記――傘の記憶|椎名真昼が綴る、あの人への手紙|No7

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窓辺で微笑む天使のような少女が、ぬいぐるみと日記を傍らに置き、柔らかな陽光と花々に包まれた幻想的な空間で佇むイラスト。 ポエム
春の陽だまりに包まれた天使のような少女が見せる、不器用で優しい微笑み。

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M i d n i g h t   D i a r y

夜更けの日記――傘の記憶

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窓の外を、しずかな雨が撫でています。
灯りを落とした部屋の片隅で、紅茶のカップを両手に包みながら、
 わたくしはひとつの記憶へと、旅をしています……。

― 雨の公園、あの日の私 ―

――遠い記憶の片隅に、
今もまだ、しとしとと雨が降り続いている公園があるのです。
 濡れたブランコの鎖の冷たさ。
 空を見上げることさえ忘れていた、あの日のわたくし。

誰にも見つけてもらえないことに、
 もう、慣れてしまっていました。
期待という名の灯火を、
自分の手で、ひとつずつ吹き消していった少女時代。

そうして、わたくしは「天使」と呼ばれる、
見えない衣をまとうことを覚えたのです。

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そんなとき、不意に――
雨音のあいだに、足音がひとつ。
差し出されたのは、ことばではなく、一本の傘でした。

「返さなくていい」――と。
 ただ、それだけを残して、
あの方の背中は、雨に滲んで遠ざかっていきました。

ふしぎなものですね。
世界というものは、
 たった一本の傘の重さで、
 こんなにも姿を変えてしまうのです。

― 夕暮れの、ささやかな儀式 ―

それから、わたくしの夕暮れには、
ひとつの儀式が生まれました。
 タッパーに詰めた、ささやかな手料理。
 隣の部屋の扉をノックする、その短い廊下の距離が、
わたくしにとっての、はじめての小さな旅でした。

「美味しい」
 たったひとこと。
けれど、そのことばは、
長いあいだ凍てついていたわたくしの胸の奥へ、
 春の雪解け水のように沁みていきました。

褒められること。
受け取ってもらえること。
 そんなあたりまえの灯りを、
わたくしは、あの方の隣ではじめて知ったのです。

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― ソファに並んだ、あの夜 ―

夜が更けて、
ふたりでソファに並んだあの夜のことを、
 わたくしは生涯わすれることはないでしょう。

わたくしの中に閉じこめてきた、冷たい家の物語。
両親という名の、けれど誰の親でもなかった人たちの面影。
 打ち明けたあとの沈黙が、こわくて、こわくて。

けれど、あの方は、
安易な慰めを口にしませんでした。
 ただ、不器用に――ほんとうに不器用に、
 わたくしの頭に手を置いてくれただけでした。
ガラス細工に触れるような、
ためらいがちな、それでいて、たしかな温度。

「お前の素を見ても、
それが好きだって奴がここにいるだろ」

夜の底に、ぽつりと落とされたその一言で、
 わたくしの鎧は、音もなく崩れていきました。

涙というものは、
悲しみのためだけに流れるものではないのですね。
 許されたとき、ひとは、
 こんなにも静かに泣けるのです。

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― そして、今 ―

――そして、今。

わたくしは、ときどき、
自分でも信じられないようなことばを口にしてしまいます。

「もっと、触って」
 そんな、子どものようなおねだりを。

かつて、誰にも手を伸ばすことをやめた少女が。
期待することを、誰よりも恐れていた少女が。
 あの方の大きな手のひらの下で、
まるで甘えん坊の猫のように目を細めている。

――ふしぎですね。
 ほんとうに、ふしぎなことです。

― 帰る場所という、座標 ―

世界には、たくさんの帰る場所があるのでしょう。
 故郷という場所。
 生家という場所。
 家族という場所。

けれど、わたくしの帰る場所は、
地図のどこにも記されてはいません。

あの方の隣という、
たったひとつの座標。

不器用で、ぶっきらぼうで、
けれど誰よりも真っ直ぐな、あの方の隣。

雨の日に差し出された一本の傘から始まった、
この長い旅路。
 その終着駅を、わたくしは、
 もう探さなくてもいいのです。

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――夜が、しずかに更けてゆきます。

明日もまた、隣の部屋の扉を、
わたくしはノックするのでしょう。
 タッパーを片手に、
 少しだけ意地っ張りな顔をして。

――それでは、おやすみなさい。

世界でいちばん、大切なあなた。

どうか、よい夢を。

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