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M i d n i g h t D i a r y
夜更けの日記――傘の記憶
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窓の外を、しずかな雨が撫でています。
灯りを落とした部屋の片隅で、紅茶のカップを両手に包みながら、
わたくしはひとつの記憶へと、旅をしています……。
― 雨の公園、あの日の私 ―
――遠い記憶の片隅に、
今もまだ、しとしとと雨が降り続いている公園があるのです。
濡れたブランコの鎖の冷たさ。
空を見上げることさえ忘れていた、あの日のわたくし。
誰にも見つけてもらえないことに、
もう、慣れてしまっていました。
期待という名の灯火を、
自分の手で、ひとつずつ吹き消していった少女時代。
そうして、わたくしは「天使」と呼ばれる、
見えない衣をまとうことを覚えたのです。
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そんなとき、不意に――
雨音のあいだに、足音がひとつ。
差し出されたのは、ことばではなく、一本の傘でした。
「返さなくていい」――と。
ただ、それだけを残して、
あの方の背中は、雨に滲んで遠ざかっていきました。
ふしぎなものですね。
世界というものは、
たった一本の傘の重さで、
こんなにも姿を変えてしまうのです。
― 夕暮れの、ささやかな儀式 ―
それから、わたくしの夕暮れには、
ひとつの儀式が生まれました。
タッパーに詰めた、ささやかな手料理。
隣の部屋の扉をノックする、その短い廊下の距離が、
わたくしにとっての、はじめての小さな旅でした。
「美味しい」
たったひとこと。
けれど、そのことばは、
長いあいだ凍てついていたわたくしの胸の奥へ、
春の雪解け水のように沁みていきました。
褒められること。
受け取ってもらえること。
そんなあたりまえの灯りを、
わたくしは、あの方の隣ではじめて知ったのです。
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― ソファに並んだ、あの夜 ―
夜が更けて、
ふたりでソファに並んだあの夜のことを、
わたくしは生涯わすれることはないでしょう。
わたくしの中に閉じこめてきた、冷たい家の物語。
両親という名の、けれど誰の親でもなかった人たちの面影。
打ち明けたあとの沈黙が、こわくて、こわくて。
けれど、あの方は、
安易な慰めを口にしませんでした。
ただ、不器用に――ほんとうに不器用に、
わたくしの頭に手を置いてくれただけでした。
ガラス細工に触れるような、
ためらいがちな、それでいて、たしかな温度。
「お前の素を見ても、
それが好きだって奴がここにいるだろ」
夜の底に、ぽつりと落とされたその一言で、
わたくしの鎧は、音もなく崩れていきました。
涙というものは、
悲しみのためだけに流れるものではないのですね。
許されたとき、ひとは、
こんなにも静かに泣けるのです。
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― そして、今 ―
――そして、今。
わたくしは、ときどき、
自分でも信じられないようなことばを口にしてしまいます。
「もっと、触って」
そんな、子どものようなおねだりを。
かつて、誰にも手を伸ばすことをやめた少女が。
期待することを、誰よりも恐れていた少女が。
あの方の大きな手のひらの下で、
まるで甘えん坊の猫のように目を細めている。
――ふしぎですね。
ほんとうに、ふしぎなことです。
― 帰る場所という、座標 ―
世界には、たくさんの帰る場所があるのでしょう。
故郷という場所。
生家という場所。
家族という場所。
けれど、わたくしの帰る場所は、
地図のどこにも記されてはいません。
あの方の隣という、
たったひとつの座標。
不器用で、ぶっきらぼうで、
けれど誰よりも真っ直ぐな、あの方の隣。
雨の日に差し出された一本の傘から始まった、
この長い旅路。
その終着駅を、わたくしは、
もう探さなくてもいいのです。
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――夜が、しずかに更けてゆきます。
明日もまた、隣の部屋の扉を、
わたくしはノックするのでしょう。
タッパーを片手に、
少しだけ意地っ張りな顔をして。
――それでは、おやすみなさい。
世界でいちばん、大切なあなた。
どうか、よい夢を。
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